Colors in Tokyo
Colors in Tokyo
Color ink,Colors from the erth in Tokyo, Glue,Dacron cloth,Wood
H4m × 50cm in diameter each, 2011
Itabashi Art Museum Tokyo /Japan
カラーインク,天然黄土/板橋産出 ,膠,テトロン布地,木材
H4m × 直径50cm 各, 2011
『発信//板橋//2011「けしきをいきる」』
板橋区立美術館 / 東京
The paint you see I made from the earthbelow the city of Tokyo.
These colors were used in the painting on the translucentcloth of the 3 cylinders, a cross section of the geology of Japan.
There are so many buildings, roads and sidewalks covering the city, below what we don’t see are the different colors at increasing depths that tell the history of Japan.
Much of the earth was placed there by the volcanic action of the still active Mt Fuji. For years the volcano has
erupted and covered the land with its layers of ash, building up the land.
Colors at the lowest point near the floor are from ancient history.
The colors at the top are of recent times.
発信//板橋//2011「けしきをいきる」展によせて
私は人と自然の関わりの中に見える人々の価値観の変遷、意識の変容をテーマに作品を作っています。人々の価値観や視点は様々な現在の状況の影響下にあります。昨日の価値が今日は一変とは言わないまでもそれは常に現在の有効性にあわせて少しずつ変化しています。 その変化に飲み込まれるように消えて行ったもの、失ってしまったものの痕跡や断片を作品を通じて辿ります。
この展覧会への参加にあたり、 板橋の歴史、変遷を知ろうと数々の郷土資料に触れる中、一つの資料に出会いました。
”成増露頭地質調査報告書「武蔵野の生いたち」”
露頭とは崖など地層が露出しているところのことで、板橋区立美術館からもほど近い成増厚生病院の裏手は かつて20mを超す大露頭になっており、”地学を学ぶ人は必ず一度は訪れるほど、武蔵野台地を構成する地層の全貌を観る事が出来る有名な場所”だったそうです。周辺の宅地化と開発が進み成増露頭は昭和54年にコンクリートの擁壁で覆われてしまい現在は観る事はできません。
私は資料の中の関東ローム層の赤土がざっくりと露出した美しい露頭の記録写真を見て「 この土から絵具をつくるワークショップが出来たら!」と興奮しました。残念ながら成増露頭の周辺では土を採取できませんでしたが、 美術館の敷地の一部に崖があり、そこの土を採取して絵具を作ってみたところ、とても良質で赤みの強い黄土(イエローオーカー)が出来ました。 武蔵野台地には表層の黒土の下に 関東ロームの赤土や黄土層が分厚く堆積していて、板橋区でなくてもどこを掘っても出てくるそうです。しかし宅地造成や道路が地表を覆い採取は簡単とは言えません。板橋区は荒川に面した武蔵野台地の端に位置するため崖が多いのが特徴です。 運良く美術館の敷地の崖に成増路頭の地層に近い箇所があり採取できました。 展示作品の一部は板橋区立美術館の土から作った絵具を使った作品です。この土から絵具を作るワークショップも開催します。この展覧会にて美術を通した「土地を知る/地域を知る」楽しさが広がればと思います。
*後記 展覧会期間中に東日本大震災が発生。被害や余震の影響から展覧会は中止、予定していた絵の具を作るワークショップも開催出来ませんでした。
Colors in Aomori
Colors in Aomori
「Mountain pond -萢(やち)」
Color ink,Colors from the erth in Aomori, Glue,Dacron cloth,Wood
H15cm × 200cm in diameter each, 2008
Artist in Residenc Program 2008 Autumn
「Luna Forest」
Aomori Contemporary Art Centre Aomori /Japan
「Mountain pond -萢(やち)」
カラーインク,天然黄土,天然ベンガラ/青森産出 ,膠,テトロン布地,木材 H15cm × 直径200cm 各, 2008
アーティストインレジデンスプログラム『月下の森』
国際芸術センター青森 青森県青森市
「Mountain pond -萢(やち)」
青森に滞在し、制作、発表するという特殊な機会において、この土地から発想を得て、たくさんの人と出会い、交流しながら制作完成する作品をと考えました。作品は八甲田山の高層湿原から発想しています。高層湿原というのは東北地方や寒冷地に多く見られる特徴的な湿原で、八甲田山の中腹には広大な湿原が広がっています。八甲田は古くは<八神田><八耕田>(神々が耕した田んぼという意味)ともよばれ、人里離れた山中に清水を堪え、イネ科の植物が茂る湿原をかつての人々は神聖視し、農耕儀礼や祭礼の場所でもあったといいます。祈りや神聖なものに対しての見立てはどの古代遺跡においても見受けられるように発展的な創造性、装飾性を秘め、芸術の萌芽、始源であると考えます。
国際芸術センター青森は青森市街から車で40分ほど離れたちょうど八甲田への入口に位置します。丸い池を中央に配し、それを取り囲む円形のデザインの安藤忠雄設計の美しい建物が深い森の中にあらわれます。
八甲田山の高層湿原のイメージと古代の人々の集い、センターの水を堪えた静かなたたずまいと芸術の発信地である役割を重ね合わせプロジェクトの構成を計りました。作品のプロセスに青森県内各地で採集した土から絵具を作るワークショップ、絵具についてのレクチャー、青森在住のアーティスト、ダンサーと作り上げるアートミュージックイヴェント、また作品の円形木枠作成を地元の若い職人さんに依頼、材は特産の青森ヒバです。こうした地元の人の協力や交流を通して土地の人と一緒に青森を知り、芸術の始源に触れ、最終的に作品に土地の記憶と人々の足跡や手形、様々な痕跡を刻みこんでいます。
The Other side
The other side 1,2
Color ink,Sumi ink,Glue,Dacron cloth,Wood
W236cm × H303cm × D24.5cm, 2005
Mirage on a Summer Day” Reflections on Nature by Contemporary Artists, Gunma Museum of Art, Tatebayash/Japan
W236cm × H303cm × D24.5cm
カラーインク、墨、膠、テトロン布地、木材
「夏の蜃気楼」展 群馬県立館林美術館 2005年
The other side 1
この作品の前に立った鑑賞者は必然的に作品の一部となります。
他の鑑賞者が現れ作品の向こう側に立った時、作品越しにうっすらとその人の姿が目に入ります。
それは同時に他の鑑賞者の目にも同じように作品越しに自分の姿がとらえられているのです。
これは仏教と自然信仰が融合した日本人の心の奥に脈打つの自然観を表現しています。
「すべては自然の一部である」
Four Seasons Garden
Four Seasons Garden
Color ink,Sumi ink,Glue,Dacron cloth,Wood
Paithing Beyound the Picture Plane: Installations and Nihonga 2016
Musashino Art University Museum Tokyo/Japan
四季の庭
カラーインク、墨、膠、テトロン布地、木材
「平面を超える絵画」
インスタレーションと日本画的感性
武蔵野美術大学美術館 2016年
「四方四季の庭」について
日本画の代表的な絵具である辰砂(朱)はかつて日本でも産出し、辰砂から精製される水銀は重要な鉱物であり古代から様々に利用されてきた。鮮やかな色と強い毒性、その逸話の数々は当時の人々の生命観が強烈に読み取られ興味深い。有名すぎる昔話「浦島太郎」の古い説話を遡って行くと「丹」が登場する。丹は朱のことである。辰砂を軸に浦島説話の時空間と様々なエピソードや視点を重ね合わせるところから作品は始まった。
浦島太郎のモデルの人物についての文献的記述はとても古く『日本書紀』まで遡り、雄略二十二年(463年)丹波国余社郡筒川の人、瑞江浦嶋子 蓬莱山へとある。日本書紀は8世紀に平安時代に編纂された日本の国家正史であるから、瑞江浦嶋子は史実の人ということになり、浦嶋子が蓬莱山に行ったのは国家正史に書留められるほどの重要案件であった。また『水鏡』には淳和天皇の時代、天長二年(825年)に帰ってきたという記述がある。浦島太郎の説話は中国の神仙思想がもとになっている。仙境に住み不老不死を会得した仙人に肖ろうと権力者達に好まれたのである。仙人になる方法の一つに仙薬を服用する方法がある。この仙薬の材料が丹砂つまり辰砂である。なぜ浦島はこの時代に帰ってきたのか。淳和天皇は仙薬を実際に服用したと史実上明らかになっている人物の一人で、浦島の帰還は不老不死への希求の証といえる。
話は神仙思想を基本にして仏教的な動物報恩譚、神社縁起、「亀の背に乗り海底の竜宮城へ」などその時代の感覚や価値観を反映するように脚色されエピソードが継ぎ足された。「四方四季の庭」は室町時代の人が御伽草紙でこの物語に添加した空間や時間に対する想像力の一つである。浦島は乙姫に竜宮の中の特別な座敷に案内される。この座敷には四方に戸がしつらえてあり、まず東の戸を開けると春の景色が、南を開けると夏の、西は秋、北は冬の、色とりどりの草花に動物のこえ、風や空気の温度や湿度まで伴った甘美な四季の情景が現れるというもの。この不思議な庭では現実世界においては一年かかる四季の移り変わりをほんのわずかな時間で眺められる。別の話では、浦島はこの座敷がすっかり気に入ってしまい、乙姫の「観るのは一度だけに」という忠告を聞かないで何度も四方四季の庭を観てしまう。
仙界を訪問する浦島の話を心理学的に読み解くと「母胎回帰」であるという。
仙界の四季のイメージが光を透過し薄い皮膜のような素材に浮遊するようなドローイングを試みた。
作品中の四季の情景は、かつて辰砂が採集できた土地、丹後、伊勢、吉野などの取材をもとにしている。